結果としてラーメンズの最終公演となった第17回公演『TOWER』だが、正直なところわたしはこの公演がものすごく好き、というわけではない。全体としてちょっと散漫だしそれってどうよ?ってところがけっこうあるし何より「おもしろかった」よりも「さみしいね」が勝るような気がしてならないからだ。でも、そのさみしさについて書かなければならないな、とも思い、今回は『TOWER』の最初と最後を飾る「タワーズ1/2」について書くことにする。主に「タワーズ」について書くが、これらのコントは『TOWER』すべての内容を含むため、必然的に他のコントについても言及することになる。
例によって公式Youtubeで全編視聴することができる。だが、DVD版を見ると印象が変わる。その印象の、話をしたい。
なお、本記事では仮の役名として「小林」「片桐」を用いる。
タワーズ1:ディスコミュニケーションと「世界の正解」
『TOWER』のオープニングである「タワーズ1」は、小林と片桐が箱の上にただ立っている場面からスタートする。さまざまな行動の中で、片桐は小林に驚かされることがあるが、小林が片桐に驚かされることはない。片桐は箱の上でしか歩けないと思っているが、小林は箱の下の地面に立っていいことを知っている。一方的に。
その後、謎の声が鳴り響き、その「お題」に沿って「正解」するまで箱を並べたりポージングしたりすることになる。片桐は失敗するが、小林はその答えを知っているかのように成功し続ける。なお、「カマンチョメンガー」も「セバルコス」もこの時点では「知らない」のでパスされる(小林が言葉を発することができることも、片桐は知らなかった)最後に、「だんだんだんだん」という指示が出て、ピアノのように箱を並べて、小林が音楽を演奏し、片桐がそれを眺めている、という構図でタワーズ1は終わる。
ここで描かれているのは、ふたりが文脈を共有していないことと、世界の「正解」を握っているのが小林だという構図である。片桐は、自分が驚かされたのと同じ方法で小林を驚かせようとすることもあるが、常に失敗する。謎の声による指示も、何を指し示しているかわからないことがあり、失敗することになる。それに対して、小林は何が世界のルールなのかを知っており、常に正解する。
タワーズ2:コンテキストと音楽
タワーズ2は、ふたりがあやとりをしている場面からスタートする。「シャンパンタワーとあやとりとロールケーキ」では、ふたりあやとりを言語で伝達するのに非常な困難があることが描かれていたが、このふたりは、なにも問題なくあやとりをすることができる。そして、また謎の声による指示が発生するが、ふたりはこれに問題なく解答することができる。「カマンチョメンガー」も「セバルコス」も、「名は体を表す」を通過したふたりは正解する。「だんだんだんだん」にも。小林はピアノのように音楽を奏でるがーー片桐が触れた瞬間に音楽は停止する。
小林はあらゆる動きで音楽を奏でることができるが、同じことをやっても片桐にはできない。どうしても。音楽が鳴り響く中、エンドロールのように今までのコントのキャラクターたちが登場する。そして、小林の「鍵盤」は空中になり、ふっと息を吹きかけて音楽を「飛ばした」のを片桐は目で追って、それを「空中で捕まえた」瞬間に音楽は止まる。手を開くときらきらと音がこぼれて、片桐は小林を見て、小林は驚いている。暗転。
「タワーズ2」では、まるで『TOWER』の物語をふたりが辿ってきたかのように、ふたりの間にコンテキストが積まれている。もうあやとりはできるしクリムゾンメサイア関連の単語もわかる。ふたりは協力することができる。音楽が鳴り始めるまでは。
ただ、このコントでも、「タワーズ1」と同様に、最後の瞬間以外は世界のルールは小林が握っている。音楽がどうして始まり、どうして止まるのかは小林のみが知っている。片桐がやってもなにもかもうまくいかない。しかし、ラストだけは違う。片桐が音楽を「捕まえた」ことは、最後の表情からするに、小林の予想からは外れていたのだろう。決して驚かなかった小林が、最後の最後に片桐に驚いて終わる。美しい終わりである。
Youtube版は、これで終わりだ。しかし、DVD版には「続き」がある。
ふたつの解釈:音楽は終わるのか
まずは「タワーズ2」のラスト以降に音楽がなかった場合(Youtube版)について考えてみよう。このバージョンでは、片桐が音楽を「捕まえてしまった」ことによって終わってしまったと思われる。その先にあるのは静寂のみで、物語はここで終わる。世界のルールであった小林を、片桐がポジティブに裏切ることによって驚きをもたらす(メタ的な事情を入れると、ラーメンズの本公演はそれ以降行われていない。物語の終わりにはふさわしいと言えるかもしれない)
しかし、DVD版では、カーテンコールがあるためこの先にも音楽が流れている(おそらく、舞台でもそうだったのだろう)そうなると、話が若干変わってくるのではないだろうか。片桐が音楽を捕まえて、それを空中に離しても、音楽は終わることはなかった。むしろ豊かになって鳴り響いた。これは、物語自体は終わっても、「彼ら」の物語は続くことを意味しているのではないだろうか。なんなら、物語を「続ける」ものとして最後の片桐の行動が機能しているともいえる。
わたしは先にYoutube版を見たため、「これ」で終わるのか、という寂寥感がかなりあった。確かにこれは美しい終わりだ。音楽はふわりと空中に消える。驚かなかった人間が驚いて終わる。でも、「それだけ」ならば、あまりにもさみしいのではないか、と思えてならなかった。
その後DVD版を見て、最後まで音楽が続くことを知った(なんなら、幕間にも音楽はずっとある)これは希望なのではないかと思われた。「これで終わり」じゃないのなら、物語が続いていくのなら、もしかしたらその先があったんじゃないかと幻視してしまう(今のところ、ないんだけれどもね)