ずっとラーメンズとディスコミュニケーションの話をしている。例によってこの記事もそうなのだが、何回目だかわからない見返しをした結果、このコントについて実は何もわかっていなかったな……?と思ったので、書くことにした。キーワードは「発話意図」だ。
「器用で不器用な男と不器用で器用な男の話」はラーメンズ第9回公演『鯨』の最後を飾るコントだ。観測範囲では割と人気が高い。
見ていない人はまずこれを見てほしい。14分ほどある。なお、他の記事で取り上げたコントとは違い、他のコントと連関しているわけではないから、これだけでも見られる。
のコントでは、常にふたりがコミュニケーション上ですれ違っているーーどのように?というのが、わたしの抱いた疑問点である。
まず、このコントのすれ違いの構造をおおまかに4パートに分けて述べる。以下、役名を「片桐」「小林」とする。
①片桐が冗談を言うが、小林はそれを冗談だと認識せず、うまく返すことができない
②片桐の言っていること(絵を辞めること)は冗談ではないのだが、小林はそれを冗談だと認識する
③片桐は「才能がない」から絵を辞めることにしたのだが、小林はお金がないから辞めるのだと思っている
④片桐が手渡した実家の住所は、(小林にとっては)近いものだった
このコントにおける片桐は、「コミュニケーションに器用」な人間だ(自分のコミュニケーションスタイルを他人に押し付ける人間が果たしてそうなのかはさておき、戯曲集の前書きによると、そうだ)対して小林は、文脈を読むことができず、言葉を文字通り受け取ってしまう、「コミュニケーションに不器用」な人間として描かれる。
①パートでは、片桐がコミュニケーションの主導権を握っており、小林はそれに感心しているという構図が描かれる。
片桐「しっかし本当かっこいい建物だよな。こういうのって、何て言うんだっけ?」
小林「デザイナーズマンション」
片桐「そうそうデザイナーズ満州(中略)」
小林「……何でもよく知ってるなあ」
片桐「……ねーよ」
ここでは、片桐の冗談を真に受けて小林が応答するが、片桐にとってはそれは予想された応答ではないという会話が複数回展開される。ここで、小林は冗談がわからない人間である、というのが観客に印象付けられる。(というよりは、小林は片桐の発話意図を誤解し続けている、というのが正しいだろう)
②パートでは、片桐が冗談ではなく、絵の具を捨てたと言った際に、小林が(①パートで言われた)ツッコミをするが、それは機能しないというシーンが描かれる。
片桐「今朝な、絵の具全部捨てちゃった!」
小林「……あ、はっはっは!そんなわけないだろ!」
①パートとは逆に、片桐は冗談を言っていないのだが、小林は冗談だと認識してしまっている。ここでも、ふたりの発話意図はすれ違っているのだ。
③パートの小林のセリフはこのコントの白眉ともいえる。片桐が才能を理由にして絵を辞めて実家に帰ろうとしているのだが、小林は(要約すれば)片桐のパトロンになろうとすることによって絵を辞めてほしくないと伝える。
片桐「分かっちゃったの。俺、才能ないみたい。笑っちゃうよな。十年棒にふっちゃった。……地元で……地味に働くわ」
(中略)
小林「そうだ!僕んちで暮らしなよ!だから行くのやめなよ!全部アトリエにしちゃっていいからさ!だから行くの……やめろよ!絵の具なら僕が全部買ってやるからさあ!」
片桐が絵を辞めるのは、金銭的な理由が第一の理由ではない。もちろん、絵で食っていけないから実家に帰るのであろうが、「才能がない」から絵を辞めるのだ(本人の言を信じるならば)。対して、小林は金銭的な理由が解決すれば片桐は絵を辞めないのではないかと考えている。ここでも、小林は片桐の発話意図を誤解している。というよりももっと手前で、発話をきちんと理解していないともいえる。
では、④ーーオチはどうだろうか。このコントは、片桐が小林に実家の住所をが書かれたメモを手渡し、小林がそのメモを見るところで終わる。
小林「……近い!」
そう、片桐の実家はあまりにも「近かった」。そして、片桐が「実家が近い」ことを認識して小林にそのメモを渡したかどうかは、定かではない(個人的には、ツッコミ待ちで渡したのではないのかと思うが、このコントの内容からそれを正確に判断することはできない)(ツッコミ待ちで渡したとするのならば、ツッコミを聞いてから去るのでは?)
このコントは、小林が片桐の発話意図を理解しているか理解していないかにかかわらず、「ツッコミが機能する」ことによって終わる。また、これは小林が「文脈を読むことができず、言葉を文字通り受け取ってしまう」人間であっても(むしろ、そうだからこそ)発せられた言葉だともいえる。
①~③パートで、小林は常に片桐に対するツッコミに失敗してきたし(それは、小林と片桐双方の性質によるものだ)その理由は小林が片桐の発話意図を誤解していたからだ。しかし、オチでは発話意図とは関係なく、ツッコミが成立する。ある意味では、片桐が望んでいたコミュニケーションスタイルを小林が成功させたともいえる。その場に、片桐はいないので、コミュニケーションが成立した、とはいえないのだが。
おそらくは、小林も「片桐のような、おしゃべりのうまい」人間になりたかっただろうから、双方が望んでいたコミュニケーションスタイルが成立した瞬間に、コミュニケーションが断絶する、というのが、このコントのラストシーンで描かれていることだといえるのではないだろうか。それは、あまりにもさみしいことなのだが。
(まあ、片桐の実家が近いのなら、小林は会いに行けばいいのだし、会いに行ったら片桐はしれっとしているのかもしれない。美しい幕切れの向こうを考えるのは蛇足かもしれないが、「人生ってのは、おもしろくないものなんだよ」)